こんにちは、ライフ盛岡スタッフです。
今回はFDメンバー(障害者)が書いてくれた記事を投稿致します。
こんにちは、ライフ盛岡メンバーです。
突然ですが、みなさんにとって「父親」はどういう存在ですか?
私にとっては 「嫌な面もあるけど、おそらくずっと越えられない偉大な存在」です。
私が病気や障がいなどで社会から立ち遅れてしまったということもありますが、
それ以前に親子関係とは本来、そういうもののような気がしています。
私にとってそういう存在である父親ですが、先日の日曜日、、
何気なく「親子の絆」が再確認できる出来事がありました。
それは、本当に何気ないことですが、私がひいきにしているプロ野球チーム
「東北楽天ゴールデンイーグルス」のキャンプ情報をパソコンのサイトで見ていた時のことです。
父親が興味を示してくれまして、「岩手出身の銀次選手の守備練習は・・」
「投手陣のブルペン練習は・・」はなどと会話が弾み、
コミュニュケーションが久しぶりにとれた!と思いました。
1時間くらい、見ていましたが、その間父とかなり話が出来、
母も加わって、楽天のキャンプ情報そのものももちろん楽しかったですが、
家族、特に普段、距離を感じがちな父とのコミュニュケーションが何より楽しいひと時でした。
父親というものは、(今は共働き家庭も多いですが)子どもの育っていく過程の中で家庭に不在の事が多く、
また「古稀」を迎える私の父の世代には頑固な人も多く、なかなか父親に「心を許す」人は、多くないかもしれません。
しかし、私も小さいころ、父に「肩車」されたり、いろいろなところに連れて行ってもらったりした記憶があります。
大人になって私が発病し、大変な時期が続いて、
父ともうまく意思疎通出来なくて悩んだ時期がありますが、その時期も父は私の事を
本当に「こんなことまで考えてくれていたんだ・・」ということまで考えてくれていた、と後から母に聞きました。
本当に、感謝するほかないと今は思います。
私は決して出来のいい息子ではありませんが、高齢に差しかかった父の気持ちが少しは分かる年齢になってきました。
父にも末永く元気でいてほしいですが、こればかりはどうなるかわかりません。
今後も先日のような時間を大切に、親を思いながら暮らしていきたいです。