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こんにちは。アイエスエフネットライフ盛岡スタッフです。
本日は、【後藤新平】をご紹介いたします。
後藤は水沢留守藩医実崇の長男として生まれ、最初は医師の道を選び周りの期待に応えて
25歳で愛知病院院長兼医学校長となりました。
その一年後、自由民権論者の板垣退助が岐阜県で遊説中に暴漢に刺され負傷した際には、
診察をしております。
この件や医学校での実績を認められ、内務省衛生局へ。
日清戦争後は、官僚として世界にまれな三つの大規模検疫所を建て、
防疫の重要性を認識させました。
また台湾総督府民政長官となり、後藤はいち早く台湾銀行を開設反対論を制し、事業公債
で鉄道建設・築港・土地調査を進めました。
上下水道や病院・医学校などを設け製糖会社も創業し、政治的手腕を大いに振るいました。
この台湾統治にみせた後藤の才能が評価され、満州鉄道の初代総裁にもなっております。
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