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今回は、那珂通世(なかみちよ)を紹介します。
那珂通世は、岩手県出身の明治時代の歴史学者、文学博士です。





東洋史の概念を初めて生んだとされる人物です。


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●生涯



盛岡藩藩士・藤村盛徳の三男として、生まれて幼いころの名を荘次郎と言いました。
藩校で優れた成績を修めたため、14歳の時に藩校・作人館の句読師であった
漢学者・江帾(えばた)通髙(梧楼)から乞われて、江帾家の養子に入ります。


藩主・南部利恭の近侍となり、
養父が「那珂」と改姓したのに伴って、「那珂通世」を名乗りました。


戊辰戦争における敗戦
を経験し、江戸の越前藩邸に預けられます。


明治維新以後、福沢諭吉の書生となって、
明治5年(1872年)に慶応義塾別科に入学して学び、
1876年(明治9年)、26歳の時に、「日本古代文字考」を「洋々社談」に発表しました。


慶応義塾別科を卒業後、福沢諭吉の推薦で師範学校・中学校・巴城学舎などの教師を務め、
後に千葉師範学校・東京女子師範学校の校長も務めて女子教育に尽力しました


後に明治33年(1900年)に従五位勲五等高等官三等となり、
第一高等学校や東京高等師範学校の教授となり、
1896年に東京帝国大学文科大学の講師も兼ねました。


その間にも日本・朝鮮・中国の歴史における実証的な研究を多く発表しました。


 明治34年(1901年)、文学博士の学位を受けます。
代表的な著作としては中国の通史である
支那通史」(1888年-1890年、未完であるが、
簡易かつ客観的であったことから中国でも読まれたそうです。)や、
1897年、「辛酉革命説」に基づいて日本の紀年問題を計算し、
紀元節を定めるのに協力しました。


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また、「元朝秘史」を「成吉思汗実録」の題で邦訳して日本に紹介しました。


明治35年に国語調査委員を命ぜられ、浄土宗大学仏教地理講師嘱託となりました。
明治38年から明治39年まで清国(中国)満州(今の中国東北地方)・韓国を視察しました。


語学、文学、歴史、地理、経済、産業、社会、統計、調査など、
幅広い分野を広く研究して、満州語・モンゴル語を修得しました。


日本で最初に東洋史という名称を使い、日本の紀元問題の研究でも知られています。 


日本を代表する歴史学者です。


私は歴史が好きで、中国史の本などもよく読むのですが、
この「那珂通世」という先生のことは今まで、知りませんでした。


このブログを書くにあたって、この人の事を知ることが出来てよかったです。
今度ブログを書くときは、この人の書いた本についても紹介できたら良いと思います。




●「元朝秘史」


「元朝秘史」とは、中世モンゴルの歴史書です。
「モンゴル秘史」とも呼ばれることもあります。
チンギス・ハーンの一代記を中核に、その族祖伝承から後継者オゴディの
治世の途中までの歴史が記されている本です。
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