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こんにちは、ライフ盛岡スタッフです。
今回はFDメンバー(障害者)が書いてくれた記事を投稿します。
こんにちは、ライフ盛岡メンバーです。
先日、「あの日」から3年を迎えましたね・・
私は、いまだ震災後、「被災地」を訪れていない、
東北に住むものとしてはある意味非常に情けない人間ですが、
ここに来てようやく「今、自分に出来る支援、応援は何か」という事を
自分なりに考える時間も増えてきました。
今月末は後述すると思いますが震災後初めて岩手県沿岸を訪れる機会がありそうなので、
私事ですが、しっかり復興の現状を見てこようと思っています。
さて、そんな中、先週の金曜日ですが、同じ事業所の人たちと
会社帰りに盛岡駅西口のビルで開催されていた
震災関連の模型展と、隣の盛岡で一番高いビルで開催されていた写真展に行ってきました。
模型展では、陸前高田や釜石、大槌などの岩手県内の被災地はもちろん、
福島の南相馬や浪江町、宮城の名取市閖上(ゆりあげ)など、東北の被災前の姿が復元されていました。
一緒に行った人に震災時、陸前高田に住んでいた人がいて、話を聞きながら見ました。
「病院の屋上で救助ヘリを待つ間、何人ものお年寄りが凍えて亡くなった」など、生々しい話も聞きました。
そんな話を聞くにつけ、何年間も目を背けてきた自分が恥ずかしかったです。
模型で見ると、漁港の街・釜石や大船渡なども往時の繁栄がしのばれ、
その多くが流されてしまったかと思うと本当に切なかったです。
しかし、そのビルと隣の盛岡で一番高いビルの両方で、
多くの写真が展示されていましたが、その生々しさには息を呑む想いでした。
人々の暮らしていた海沿いの集落がごっそりと無くなっている写真。
三陸のものでは、今まさにつなみに飲みこまれようとしている人の写真までありましたし、
避難所の様子や、避難所でやっと配られたパンを分け合う親子の写真もありました。
またその一方で、釜石や大槌で震災の年の秋にも神社の例大祭が行われたという写真もあり、
人間の力というものに改めて驚きました。
私は直接被災をしていないので、軽々に言えない部分もありますが、
実は一人知人を津波で亡くしていますし、震災当初から目を背けてきた面はありますが、
これからしっかり現実を捉え、出来る応援をして行きたいと思います。
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